稲荷山眞長寺

                 稲荷山眞長寺の歴史

○西暦1607年和暦慶長12年に常陸浦和(埼玉県浦和市)王蔵院の弟子元養和尚によって開かれました。

 

 当初 香林坊橋の側、富永小左衛門(丞居)屋敷を改築し拝領。慶長15年(1610年)堂宇を建立。その後寛永16年(1640年)に寺屋敷を松平伯耆守下屋敷(現在地)に移しました。

 

 本尊は胎蔵界大日如来、両脇に愛染明王、不動明王を安置しております。

 

○當寺の稲荷大明神は金沢城内稲荷屋敷に安置されていたお稲荷さんで元和8年(1622年)に御城普請の折り金沢城未申鎮護の為真長寺に遷座される。(丑寅鎮護は愛宕山明王院)またこのときより前田藩主より祈祷を命ぜられた。

 

 その後明治2年神仏混合を廃せられたれば、社地と寺地とに区別し、同7年郷社泉野神社の境内に移せり。しかし、お堂のみ建立し御神体はそのまま眞長寺が拝し現在に至っております。

 

○また愛染明王>は宗祖弘法大師の彫刻にて往昔洛陽東寺愛染堂の本尊として鎮護国家の精行怠らず拝しておりました。その後、宇多院 御病悩む時、一七日明王の法を修し給う。

 

ある時 持僧の夢に告げて曰く「我北陸の衆生に感應し縁あって汝具してかの土に至るべし」と、教えのごとく本尊を荷負い越前の国気比の社に奉納する。然るに天正年中兵乱の災を遁れて諸処に移し奉る時、金沢の家臣中村刑部家正、其の因由を尋ねて渇仰肝に銘じ家に伝えて供養し奉り、その後元和8年8月稲荷大明神と共に還座され真長寺の本尊とされる。その後80年間秘佛とされていたが、當寺第20世住職覺堂和尚代に開帳して以来現在も大日如来の脇佛として當寺に鎮座しております。



 
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